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里庄町の偉人

印刷用ページを表示する更新日:2018年2月5日更新

里庄町の偉人 ~原子物理学の父~ 仁科芳雄

里庄町の偉人 ~原子物理学の父~ 仁科芳雄の画像

仁科芳雄博士は、明治23年12月6日里庄町に生まれました。東京帝国大学工学部電気工学科を卒業し、理化学研究所に入り研究生となると同時に東京大学大学院に進学しました。大正10年から7カ年ヨーロッパに留学しイギリスのケンブリッジ大学、ドイツのゲッチンゲン大学、デンマークのコペンハーゲン大学に学びました。デンマークではノーベル賞受賞者で量子論の創始者、ニールス・ボーア博士の指導を受け、有名な「クライン・仁科」の公式を完成して世界的に有名になりました。帰国後は、理化学研究所主任研究員となって仁科研究室を主宰して新しい物理学研究の中心となりました。

里庄町の偉人 ~原子物理学の父~ 仁科芳雄の画像2

京都大学にも出講して、いずれもノーベル賞受賞者である湯川秀樹博士、朝永振一郎博士ら後進の指導に心血をそそぎました。昭和10年理化学研究所に原子核実験室をつくり、19年に200tサイクロトロンを完成させました。昭和20年8月に広島に原子爆弾が投下されるや調査団長を命じられ調査におもむき、原子爆弾と断定して政府に報告し、大戦終結の糸口をつくりました。21年戦後初めての第5回文化勲章を受章しました。26年1月10日、60才で永眠しました。

  • 明治23年12月06日 岡山県浅口郡新庄村浜中、仁科存正氏の四男として生まれる。
  • 明治30年04月 新庄小学校(現里庄西小学校)に入学。
  • 明治34年04月 生石高等小学校にに入学。
  • 明治38年04月 県立岡山中学校に入学。
  • 明治43年09月 第六高等学校に入学。
  • 大正04年04月 東京帝国大学電気工学科に入学。
  • 大正07年07月 同校を首席で卒業、恩賜の銀時計を受く。
  • 大正07年07月 財団法人理化学研究所研究生となり、同時に東京大学大学院に入学、2ヶ年学ぶ。
  • 大正10年04月 理化学研究所より海外留学を命ぜられ、渡欧す。
  • 大正10年10月 英国ケンブリッジ大学にてラザフォード教授の下で物理学研究に従事す。
  • 大正11年11月 ドイツ・ゲッチンゲン大学に留学、理論物理学研究に従事す。
  • 大正12年04月 デンマーク・コペンハーゲン大学、ボーア教授の下で物理学研究に従事す。
  • 昭和02年11月 ドイツ・ハンブルグ大学にて理論物理学研究に従事す。
  • 昭和03年12月 北米経由帰国す。
  • 昭和05年11月 理学博士の学位授与さる。
  • 昭和06年07月 理学研究所主任研究員となる。
    この間、有名な「クライン・仁科の公式」を完成し、日本の物理学の中心的存在として湯川秀樹、朝永振一郎両博士(いずれもノーベル賞受賞者)などの育成に尽力した。
  • 昭和12年04月 23トンのサイクロトロンを完成。
  • 昭和19年01月 200トンのサイクロトロンを完成。
  • 昭和20年08月 8月6日広島に新型爆弾がおちると、ただちに調査団長として広島におもむき、これを原子爆弾であると断定し、政府に報告して大戦終結のいとぐちをつくった。
  • 昭和20年11月 博士が心血をそそいでつくった二つのサイクロトロンは米軍の手により破壊され、東京湾に沈められた。
  • 昭和21年02月 文化勲章授与さる。
  • 昭和24年01月 日本学術会議副会長となる。
  • 昭和25年08月 郷里に展墓し、里庄公民館にて講演す。
  • 昭和26年01月10日 東京都にて60才で病没す。

里庄町の偉人 ~原子物理学の父~ 仁科芳雄の画像3

 仁科会館は、仁科芳雄博士を顕彰する科学教育施設として平成元年4月にオープンしました。ロビーには、お絵かきロボットや、いろいろなパズルなど科学する心を育むようなものがおいてありますので、実際にふれてみてください。他にも、「科学講演会」や「ロボットコンテスト」などさまざまな事業を展開しています。

  • 開館日 火曜日~日曜日
  • 閉館日 月曜日・毎月第3日曜日
  • 開館時間 9時00分~17時00分

仁科会館ホームページ<外部リンク>

科学講演会講演録

  • 第1巻「郷土の誇り、仁科芳雄」1990年
    講師/学習院大学理学部長:江沢 洋
  • 第2巻「電子波が開く世界」1991年
    講師/日立製作所基礎研究所主管研究長:外村 彰
  • 第3巻「宇宙はいかに生まれたか」1992年
    講師/東京大学大学院理学系研究科教授:佐藤勝彦
  • 第4巻「固体表面の世界」1993年
    講師/岡山理科大学工学部教授:吉森昭夫
  • 第5巻「宇宙の誕生と素粒子の発生」1994年
    講師/京都大学基礎物理学研究所教授:二宮正夫
  • 第6巻「光と計測と科学」1994年
    講師/浜松ホトニクス中央研究所所長代理:土屋 裕
  • 第7巻「相対性理論入門」1995年
    講師/大阪市立科学館館長、大阪市立大学名誉教授:中野董夫
  • 第8巻「半導体研究と独創性」
    講師/半導体研究所長、前東北大学総長:西澤潤一
  • 第9巻「21世紀の科学の流れ」
    講師/慶應義塾大学理学部教授:米沢富美子

講演録ご希望の方は、仁科会館へご連絡ください。なお、部数に限りがございますので、あらかじめご了承ください。
講演録(無料)但し郵送料実費負担をお願いします。

里庄町の偉人 ~従三位勲一等旭日大綬章~ 小川郷太郎

里庄町の偉人 ~従三位勲一等旭日大綬章~ 小川郷太郎の画像1

小川博士は、明治9年6月9日里庄町で生まれました。
 東京帝国大学政治学科を卒業して、大蔵省に入省し新設の京都帝国大学経済学部に迎えられた。
 財政学研究のためドイツ、オーストリアなど、ヨーロッパ各地を6年間遊学、帰国後、教授、学部長などつとめ、法学博士となった。大正13年には京都帝国大学を辞し、同年拓殖大学の学監に、大正15年からは教授に就任した。

里庄町の偉人 ~従三位勲一等旭日大綬章~ 小川郷太郎の画像2 

 また大正6年には京都帝国大学に在籍のまま衆議院議員(京都選挙区)に当選、民政党岡山県支部長、浜口内閣の大蔵政務次官、広田内閣の商工大臣、近衛内閣の鉄道大臣となり、第2次大戦中ビルマ政府の最高顧問として財政再建にあたった。
 昭和20年4月1日、帰国途中の東シナ海で乗船していた「阿波丸」が撃沈され死去した。

  • 明治09年 岡山県浅口郡新庄村川南において村山菊蔵氏の長男として生まれる
  • 明治17年 醇成小学校(現里庄西小学校)入学
    高等笠岡小学校を経て明治24年高等生石小学校卒業
  • 明治25年 岡山中学校入学、開成中学校へ転校
  • 明治30年 第一高等学校入学
  • 明治33年 東京帝国大学諸科入学
  • 明治36年 同校を主席で卒業
  • ​明治38年 京都帝国大学助教授
  • 明治39年 欧州へ留学、帰国後京都帝国大学法科教授
  • 大正06年 法学博士 京都帝国大学経済学部長就任
  • 大正06年 京都府より衆議院議員に初当選
    以後岡山県より連続当選
  • 大正13年 拓殖大学学監に就任(昭和3年まで)
  • 大正15年 拓殖大学教授に就任
  • 昭和04年 大蔵政務次官
  • 昭和11年 広田内閣の商工大臣に親任
  • 昭和15年 近衛内閣の鉄道大臣に親任。
    関門隧道貫通の功績により従3位勲二等に叙せられる
  • 昭和18年 ビルマ国最高顧問に就任
  • 昭和20年04月01日 東シナ海において不帰の客となる 70才
  • 昭和43年06月23日 従3位勲一等旭日大綬章(写真)追贈

里庄町の偉人 ~従三位勲一等旭日大綬章~ 小川郷太郎の画像3
拓殖大学での授業風景
(拓殖大学広報部提供)

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